義ということの基本は、約束を守ることにあります。
特に「時間」と「金銭」の約束は大事なことです。
これを守らない人は、不義と言われ、信が薄くなるのです。
そして、そのことに尾ひれがつき様々ところでうわさが流れ始めます。
世の中の狭さを感じる瞬間であり、そこに至ってから後悔しても四面楚歌の状態からは脱することができません。
信とは、「信用」「信頼」など互いに認め合い協力し合う人間関係を指して言います。
信を得るには、「義」と「礼」が基本になり、「義」と「礼」に欠ければ信は、つくり上げることができません。
目に見えない人間関係は、見えない心で結ばれて切れているのです。姿は見えるが、相というものが見えないのが難点です。ですから、平気でこの信を蔑ろにしてしまうのが、愚かな人です。
そのような人は、人生を積んでは壊し、積んでは壊しの繰り返しを自らの手で行います。しかし、無意識の中で行う人が大半なため反省もなく、後悔だけが残り他人の責任にします。
この相ということが人間関係の基本になります。