無駄に美しさを求めた時、AIが越えられない人の心が見えてくる。
本当に絵になる街だと歴史を感じさせる風景には、国内外を問わず言える共通点があります。
例えば、奈良の東大寺にある巨大な仏を現代の建築技術で創建しようとすることは不可能といわれます。
神社の長い階段は、規則正しく積み重ねているように見えますが、一定の数に達したり登り切った段には必ず仕掛けがあります。
人間が神を越えない様に、階段の端などをわざと不規則に作るのです。
ヨーロッパ諸国は歴史を感じるもの、歴史が存在するものを守るための様々な規制を設けています。
歴史を守るということは、新築を建設し中古をリノベーション工事するということより、手間がかかるしお金もかかり簡単に言えば面倒ばかりです。
しかし、そうしなければならない理由があるのです。
歴史を守るということは、無駄や非効率に重視するという便利の真逆を行くことなのです。
つまり、便利なことを排除することで生まれる美学なのです。
現代社会は、無駄をなくし効率を求める風潮があります。
本来、心を持った生き物である人間は、無駄な時間や非効率な環境を有意義に過ごし、いかに優雅な時間へと自身を持っていけるかが、
人生の価値を知る上でとても重要になるのです。
インターネット社会においてのリアルなコミュニケーションの重要性が問われる今、効率だけを求めて先に真のコミュニケーションまでも省いてしまっては生きる喜びさえ失うと考えます。それを無駄といってしまっては、人の誕生する価値と生きる役割を否定することになります。
無駄こそ人そのものであり、心の存在価値なのです。
そして、その無駄を豊かに優雅に変えることが喜怒哀楽の素晴らしさなのです。なんでも効率重視に生きてしまうと大切なにかを失ってしまします。効率を考えることが悪いことではなく、切り捨ててはいけない無駄に見えるところに『一見の価値』があることを忘れないでください。